こちらの続きです。(つづきがあるんかい!笑)
数日前に、息子(15歳)に、「もう朝、起こさないから。朝ごはんも昼ごはんも、自分でやってね」と伝えました。
そして、わたしは、夜おもいのままに、お風呂に入ったり、パソコンしたり、UNEXTでドラマを見たりして、「あっ!もう1時じゃん。寝よーお♪」と気楽に過ごしていました。
それから、数日間、息子も(娘も)問題なく、朝起きて、朝ごはん食べて、学校に行っていました。
わたしは、「学校に行く前のキッズの顔を見ようかな」ぐらいの気持ちで、のそっと起きてくる感じでした。
☆☆☆
今朝も、そんな感じでした。
台所で食器がガチャガチャする音を聞きながら、ベットのなかで、半起き半寝状態でした。
「よっしゃ、そろそろ起きるか」と起きていくと、食卓でスマホを見ながら、息子が朝ごはんを食べ終えているところでした。
罪悪感(お母さんなんだから、って洗脳が残っている)
ムスっとした顔で、「Can you make me a lunch?」と言ってきました。
「えー、やだよ。自分でしなよ。ママが作ったサンドイッチ、捨ててたじゃん、何回も。」と言いました。
(英語で。。。とほほ、日本語でバシっと!言うべきだった。。。)
完全に、「負け犬の遠吠え」状態でした。
こうなるのは、わたしの中に、「罪悪感」的なものがあるからです。
「お母さんなんだから、これぐらいしなきゃ」という勘違い=洗脳が残っているのです。
もっともっと解放されていい、のです。
☆☆☆
息子の「不機嫌」は彼のもの
結局、サンドイッチを作りました。。。。(ああ、後悔!)
ほんとなら、作らないで、おいしいコーヒーを自分のために淹れて、自分の部屋に行って、好きなことをしてりゃーよかったんです。
息子には、自分のお世話を自分でしてもらったら、よかったのです。
それは物質的にも、精神的にも、です。
物質的に、ランチがなくて、おなかすかせるなら、そうなればいい。
ランチを作って、時間がなくて、学校に遅れるなら、遅れればいい。
わたしがランチを作らないことで、彼がイライラするならば、そのイライラは、息子がdeal withするもの。
☆☆☆
息子には不機嫌になる自由がある。わたしには「ご機嫌でいる」意図が必要。
なのに、なぜ、サンドイッチを作ったのか?
不機嫌パワーで、おお!と迫られる状態がいやだったのです。
だったら、逃げればいいのに、「わたしがやればいいんでしょ」って母のような被害者、犠牲者意識を使ってしまったのです。
不機嫌パワーで、やってこられても、
それは、「アンタの問題ね」と割り切れていれば、いいのです。
「家族の不機嫌は、どこ吹く風」で、自分のごきげんを一番たいせつにしていれば、いい。
家族にも不機嫌になる自由はある。
そうそう、そうなんです。
「不機嫌、たのしんでね♡」と心の中で呟いて(実際、口に出したら炎上やわ、笑)、
「わたしは、わたしのご機嫌に集中」します。
☆☆☆
いま、「共依存」を解き放つとき
ながーい間、息子も、私も、お互いに、依存状態になっていたのです。
冬至を前に、気づいて、よかった。
本気で、手放します。
「まったく、なにも息子に対して、しない」のではなく、「自分がしたいな♪」と感じた時は、「したいことをすればいい」のです。
義務とか強制とか、もうそんな世界に住むのは、御免なのです。
さんざん、その世界で遊びつくしたから。
もっと自由な世界を、自分の目に映る世界をクリエイトしていきます。
読んでくださって、ありがとうございました。
よもぎ♡
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