いまこそ、自分の内なる扉が開くとき【ウエストワールド】シーズン1フォードの言葉「探求とは上に向かっていくものではない。内に向かっていくものだ」

ウエストワールドのシーズン1で(何話か忘れた。。)フォードが彼の部屋の黒板のようなものに、(たぶん)バナードに対して、機械であるアンドロイドが「意識」をもつことについて、話をしていました。

三角の図を書いて、その頂点を指しながら、「upwardではなく、inwardに向かっていくのだ」的なことを言いました。

目次

外側に何かを求めていたころ

わたしは、精神世界のことを学ぶ前は、そして学び始めた時も

ずっと自分は、なにかが足りない。

わたしは、なにかを忘れている。

っていう感覚がつきまとっていました。

「足りない」と思っているから、埋めようとする。外側に、なにかを求めていました。

精神正解の学びの前は、その「外側のなにか」は、「結婚」「家族」だったりしました。

結婚して、家族が出来て、子ども達が生まれても、「足りない」という感覚は消えずに、ますます深まる感覚でした。

三角形の上にある頂点を追いかけていて、そこに行けば「満たされる」と思っていたんだと思います。

内側を向き始めるも、膜が厚くて、もがいていた。わかってる風を装っていた

学びを深める中で、いっしょに学んでいる人たちの中に、「自分と繋がっている人」を肌で感じるようになりました。

自分と繋がっているって?

自分の内側に、大きな光を当てていて、陰も陽も愛せている人。

陰の部分も、受け入れて、愛してあげて、「ありがとう、いままで」と感謝をこめて、そんな陰な自分にもハグをあげれる人

強いやさしさを持っている人

(陰の部分=妬む自分、他人を見下す自分、自分なんてと落ち込む自分、わたしはダメだと自分責めする自分)

焦る自分。そんな自分も愛する

「焦る」ってことは、「いまの自分は、だめだ」「このままではダメだ」と感じているから。

川の流れに任せられなくて、もがいている感じ。

わたしは、焦っていました。

まわりの「自分と繋がっている人」たちをみて、「わたしも、そうなりたい!」という思いが強くて、「いまのわたしは、ダメだから、足りないから、」と、無価値観がブワァっと湧き上がってきたのです。

その「無価値観」を感じていた時は、心地が悪かったです。

なんで、心地が悪い?

それは、「無価値観」っていうのが、本来の私のモノではないから、心地悪かったのです。

そうは、知識で分かっていても、その心地悪い「わたしはダメだー。価値がないー」という感覚を手放せずにいました。

「無価値観」に浸っている自分(無価値観という周波数で遊んでいる自分、笑)にも、ヨシヨシ、そうなんだねっとハグをあげる日々でした。

「そんなことないよ、ありのままのアナタを、愛しているよ」っと、自分が自分に肩をさすりながら、言ってあげていました。

「無知の知」自分の内側への扉が開く時!

「自分と繋がっている人」が羨ましくて、浅い学び(=自分の奥深くにもぐりこんでなくて)なのに、「わかってます風」な発言をしていました。

それは、「できている自分でありたい」というエゴからでした。

「できていない」と愛されないって、勘違いしていたから。

「できてない自分、わかっていない自分、めっちゃエゴで生きてる自分」も、ちゃんと見てあげる。

ヨシヨシ、辛いんだね。

ヨシヨシ、どうしたらいいかわからないんだよね。

ヨシヨシ、どんなアナタも愛しているよ。

「そうだぁ、わかっていなかったんだー、わたし、なーんにも」と、認めることができた時

やっと

「自分の内側に向かう扉が開いた」のだと

今から振り返って、感じます。

それは、エゴが白旗をあげた瞬間でした。

読んでくださって、ありがとうございます。

みぃちゃんロボ

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この記事を書いた人

読んじゃうと、目が醒めちゃうマンガかいてまーす♡

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