娘の誕生日に思うこと♡未来の自分がずっと声援を送ってた(感涙)

先日、娘が18歳になりました。

私たちは住むアメリカでは「18歳」になると法律的にも「大人」という扱いになります。

わたしは娘が通っていた小学校で働いています。

4時で仕事が終わり、帰ろうとすると、娘の幼稚園のW先生とバッタリ出会いました。

(アメリカでは、小学校の校内に幼稚園、保育園が併設されています。)

W先生はすでに退職されていたのですが、久しぶりに学校に遊びに来られて、他の先生たちと談笑していらっしゃいました。

とってもお世話になったW先生を見かけて、私は嬉しくなり、ポンポンと肩をたたいて、そっと「今日、娘が18歳になりました」と言いました。

すると、W先生はびっくりしたような顔をして、「うわ!おめでとう!わたしからのハグをMちゃんにあげてね」っと言われました。

W先生の周りにいた先生の中には、娘の担任だった先生もいたり、娘のことを知っている方ばかりでした。

「うわ!Mちゃん、18歳?!」と、その場の雰囲気が、あたたかいものになって、動きました。

わたしは、手を振って、家路につきました。

晴れた冬の日で、テクテク歩道を歩きました。

なぜか、涙が出てきました。ヒクヒク言いながら、泣けてきました。

なんで?

娘が小学校に通っているときは、娘ができないこと、苦手なことについて、「なんとかしてよ!」っと先生方たちに、批判めいた気持ちをずっと持っていたのです。

そんな暗黒時代を経て、いまの私は、学校で先生のアシスタントの仕事をさせてもらっており、先生方の生徒さんたちに対する愛を、じーんと感じている毎日です。

「うわ!Mちゃん、18歳?!」と、どよめいた空気の中から感じたものは、先生方の娘へのあったかな愛でした。

そんな愛にも気づかないで、先生たちを責めることでしか、自分を保てなかったあの頃。

無意識に、あの頃の自分に声をかけていました。

「だいじょうぶ、だよ」

「だいじょうぶ、なんだよ」って。

そうして、ヒクヒク言いながら、泣いて歩いていました。

その時、パッと!思い出したのです。

あのハリポタのシーンを。

窮地に追いやられたハリーを助けてくれた、姿が見えない何者。

ハリーは、それは亡くなった父親が助けてくれたっと思ったのです。

でも、それは、未来のハリーだったのです。

そう、私たちは、多次元の存在。

たーーーーくさんの、自分が「いま」ここに存在しています。

きっと、いまの私の「だいじょうぶ、なんだよ」っていう過去の自分に送った言葉は

過去の私は、聞いていたはずなのです。

ただ、あまりにも暗黒すぎて、その声がかき消されていたんですね。

そう、思うと、2025年の今のわたしに、未来の私が声をかけてくれている。

たくさんの愛を送ってくれている!そう感じました。

どどーっと雪崩のようにやってくる安心感。

あったかいお風呂に入っているような感覚。

プカ~っと浮いている感覚。

ありがとう、ありがとう。

いつも見守ってくれていて、ありがとう。

すると、歩道沿いの木々から感じます。

じっと見守ってくれている愛を感じます。

今は高校生の娘と息子が、小学生のころ、毎日のように、この道を、いっしょに歩きました。

そのころの私は時間に遅れることが許せなくて、いつもプンプン怒っていました。

日本語で子供たちに怒鳴りながら、歩いたりしていました。

そんな狂ったわたしを、この木たちは、じーーーっと見守ってくれていたのです。

ごめんなさい

ごめんなさい

ありがとう

ありがとう

読んでくださって、

ありがとうございます。

よもぎネコ(=^・^=)ニャー

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この記事を書いた人

読んじゃうと、目が醒めちゃうマンガかいてまーす♡

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