無価値感のカタマリとして
ずっと生きてきた私は
長年、障がいがある娘に対して「かわいそう」という周波数を使っていました。
シーズン1 「娘1歳半~小学生」
「こうじゃないと愛されない、そのままのあなたじゃダメ!」っていう無価値感
「障がい」なんて受け入れられない!
リハビリして、健常者に近づける!!
っと、タフティさんでいうところの「台本」の流れに逆らっていました。

(すごい量のリハビリ、家でも「きびしい鬼リハビリ師」として、活躍。笑)
なので、物理の法則として、「しっぺ返し」がやってきていました。
次々に、娘の状態が、悪くなる出来事が起こりました。(小学校4年生ぐらい)

シーズン2)「中学時代」
「人様に迷惑がかかる。このままの私(=娘)じゃダメだ」
中学生の娘は、テニス部に入ると言い出しました。
高校生のころは、ボーリング部にも入りました。
その頃のわたしは、「ひょえー!」という反応でした。

障がいのある娘がテニス部に入ったら、ほかのメンバーの迷惑になる!っと感じていたのです。
「人にメーワクをかけちゃいけない!」っていう強い思い込みがあったんです。
結果的に、娘は、テニス部やボーリングのコーチや仲間たちにも、とっても大切にされていました。
健常者でもヘタッピな人はヘタッピだし、娘が際立っていたわけではありませんでした。
ぜんぶ、わたしの妄想でした。
ちょっとぐらい、どんくさい人がいても、他のメンバーにとっても、学ぶことって山のようにあるんですよね。
それを、わたしの「人にメーワクをかけちゃいけない!っていう強い思い込み」で、勝手に妄想を作って
その妄想の中で、もだえ苦しんでいたのです。
「病気や障がい」は「個性」と捉えられていなかったのです。
シーズン3)「高校時代」
病気を「悪者」にしていたころ
「ありのままの娘」を、そのまま愛する♡ってなことが
自然になったのは、本当にここ最近のことなのです。
でも、「このコンディションは、彼女の個性♡」と思っていた「つもり」だったのです。
心の奥底では、「病気はダメだ!病気はいやだ!」と思っていたので、
(そのことにも、自覚症状はありませんでした。。。)
引き続き、いろんな種類の医者とかかわり合いになるような現実を、その意識でクリエイトしていました。
医者と会うことが、気分が重かったのです。
「障がい」のことなんて、
日頃、考えてもいなかったのに、
3次元的な「現実」
(5次元的には、ただの役回り)
に、キューと戻っていって
j心配するママ」「娘を可哀想と感じるママ」の役に、またのめり込んでいたのです。
だから、気が重かったんですよね、
定期検診が。
なのに、神経科医以外にも、いろんな!お医者さんに会うことになりました。。。(;´д`)トホホ)
(わたしの意識が、やだなって感じてたから、その「やだな」をスクリーンに映し出していたのです!)

んで

そして

外側(スクリーンに映っていること)を
変えるんじゃなくて
発信元の自分の「思い込み」を変えないと、
ほかのストーリーには
ジャンプできないんですね。
「病気は、いやだ。」
「病気は、ダメだ。」
「病気は、忌み嫌うもの。」
という重い波動ではなくて
「病気は、個性」
「病気は、彩り」
「病気は、いまのお気に入りのお洋服みたいなもの」
という軽やかなノリで捉えます。
♡
「病気は、個性」
いろんな身体条件で生まれてくることを、
決めてきた魂たち。
そう、病気や障がいも、ただの個性なのです。
それ以上でも、それ以下でもない。
♡
「病気は、彩り」
その病気や障がいっていうストーリーを
選んできたことで
味わえる彩りがあるのですね。
誰かに優しくしてもらったり、
誰かに優しくなる機会を提供してあげたり
「できない」っていうのを体験したり
「病気、障がいのことを、愚痴る」という経験をしたり♡
♡
「病気は、いまのお気に入りのお洋服みたいなもの」
大きな視点で見ると、「病気、障がい」も、
本人の魂が「やりたいから、やってる♡」とも
捉えることが出来ると思います。
(もし、闘病中で、苦しい思いをされている方がこれを読まれて、気分を悪くされたら、ごめんなさい。)
「やりたいから、やってる」というよりも
「その魂の進化にとって必要だから
体験している必修プログラム」
の方が適切かも、です。

「病気は、お気に入りの洋服みたいなもの」って表現したのは、
いまは、お気に入りの設定
(障がい児っていう設定)だから
お気に入りのお洋服を着るように
その障がいって設定を楽しんでいる。
でも、それに飽きたら(笑)
もしくは、魂の成長について
必要な過程を修了したなら
パッとお洋服を着替えるみたいに
いろんなことが、バラバラっと
変わるような、変わらないような。。笑
シーズン4)「かわいそう」を手放したら、見えてきたのは愛だった♡
振り返ってみると、前述のシーズン1、2,3通して
ずっと心の奥底にあったのは
「娘はかわいそう」って気持ちだったと、
やっと気づきました。
♡
「○○できなくて、かわいそう」って思ってるから
「あれも、これも、できるようになってね」と
余計に「しつけ」が厳しくなる。
♡
その「あなたのためよ」っていう言い訳と
「身勝手な厳しさ」を盾に、
自分の奥底の「かわいそう」っていう思いを
見ないようにしていたんだって、
今日、気づきました。

今日、娘が「おにぎり」を
作ってみたい♪というので、
すこし教えていたんです。
その時に、いつものようにピ~ン!とした
「きびしさ」が匂ってきました。
(たっ、体臭?笑)
あれ?
これって、「娘ちゃん、こういうこと、できるようになってね」っていう期待というか、
押しつけがましい思いがあったことに気が付いたんです。(重い思い。。笑)
その「期待」の裏には、
「不安」があったんです。
「かわいそう。○○もできないで、
大丈夫なのかしら」って。
でたでた!障がい児ママ、あるあるの「心配、不安」!
これって、「呪い」なんですよねえ。
不安で、心配で、思いをはせるたびに
娘が、その不安どおり、心配どおり、困ることになる未来をただいま構築中!やば!

♡
その思いに気づいて、手放しました。
そもそも、「こんな高次の魂の計画にわたしが心配するなんて、ちゃんちゃらおかしい」って。笑
いっしょに晩ごはんを食べながら、
「いっしょに、おにぎり作ってくれて、ありがとう♡たのしかった」と伝えました。
そして、娘がもっと、おにぎりを作りやすいように、アマゾンでおにぎりの型を、娘と相談して、ポチリました♡
♡
不要な不安ベースの「きびしさ」を手放したら
出てきたのは、おだやかな、今をほっこり楽しむ「愛」だったのです。

長くなりました。
読んでくださって、ありがとうございます。
よもぎネコ(=^・^=)にゃー
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