【生まれた娘は障がい児でした】まず「自分を責める」をやりまくる

ハイハイしはじめる時期、遅い。
立ち始めるのも、遅い。

そんな娘が「脳性小児麻痺」と診断されたのは、1歳半のころでした。

そのころの私は。。。。

(おもいだせ、おもいだせ、自分、笑)

自分のことを責めまくっていました。
妊娠中にやった、あんなことが、だめだったんじゃないか?
妊娠中に、飛行機にのって、アジアまで帰ったのが、ダメだったんじゃないか?

責めても、現状は変わらんのに。。。。

それでもひたすら、自分を責めて、責めて。

今から思うと、そんな風にドヨーンとして、そりゃあもう、公害並みのどす黒い女でしたね。。

「かわいそうな自分」に酔いしれていました。トホホ

ある意味、楽しんでたんでしょうね、その状況に。

まぁ、当時は、そんな風に冷静に見れずに、泥沼にハマったようなカンジで生きてました。笑

子どもの頃から、「自分は足りない」「わたしは、頑張らないと生きていけない」って感じながら、昭和のいばらの道をあるんで来ました。(演歌の世界、笑)

「頑張らないと愛されない」って勘違いしてる

親のいうように「勉強を頑張って」、親から愛されようとする

結果、下手に勉強が出来てしまって、進学校に進む

でも、根性がない、ヘタレだったので、センター試験で受かってしまう、二流大学に行ってしまう

同じ地域にある、いわゆる一流大学を見るだびに、ゲンナリして、「わたしはダメだ」に拍車がかかる

なんとか就職するも、自信のなさから、いろんなことが空回り。

交際していた米国人男性と結婚して、めでたく退職し、渡米する

結婚したことで、「わたしはだいじょうぶ」という、「かりそめ」の安心感にしがみつく。

専業主婦として、言葉もよーわからん外国で、なんとか馴染むように懸命になる

妊娠、出産。

自然あふれる森を歩きながら、「順風満帆って、こんなことね♪」と感じてた。

娘の障がいが発覚!ガビーン!

自分のせいだと、責めまくる。
大きな家で、夫が出社中は、どんより、娘と家で過ごす。。。。

そーんな「魔の時代」を通り抜けたワタクシ。すべては、シナリオ通りでした。必要な体験だったんです。

いろいろ綴っていこうっと思います。

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この記事を書いた人

読んじゃうと、目が醒めちゃうマンガかいてまーす♡

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